先生通信

山上先生 ()

国語

フェンシング部顧問

副校長を経て校長となる

雪つもる柳生街道
~1983年度・中学修学旅行の思い出~       山上英男
 
    ◆ グループで徒歩の旅
 委員から現役時代の思い出を2ヶ月に1回ぐらい書いてほしいと求められた。
「先日のホームカミングデーに出られた先生にお願いしている」という。
 43年も勤めたのだから思い出はたくさんある。 しかし、書くとなるとやっ
かいだ。今後のことは分からないが、今回についてはとりあえず応えたい。

 ところで、この同窓会通信は12月に発信されるらしい。
 それで「12月といえば・・・」と、すぐ思い浮かんだのが、1983年の
12月に実施された中学修学旅行のことであった。その一端を書こう。

 当時、中学は1学年2クラスで、矢口五郎先生と3年間をいっしょに組んで
きたが、この学年から、修学旅行は、その時期と形態をかえた。
 それまで10月に<奈良飛鳥>と<京都>を学年全員が2台のバスで巡って
いたが、それを<奈良飛鳥>に限定し、グループ別に徒歩で見学地をめぐると
いうやり方に変え、12月の実施、としたのである。

 法隆寺などの「斑鳩」と唐招提寺などの「西の京」を共通コースにし、あと
は<山辺の道>とか<佐保路>など古代の道をたどるコースや、<飛鳥の石造
物>を見てまわるコースなど、6、7のコースをつくり、それぞれ十数人のグ
ループに教員一人が付き添って歩くというかたちにしたのだ。 
 はじめは「俺たちのときから、何でこんな厄介な旅行になるんだ!」という
声もあがったが取りくむうちに熱心になった。
 私が担当したコースは<柳生街道>であった。

    ◆ 画家夫妻もいっしょに
 旅行の初日に当たる12月17日は、ちょうど春日若宮のおん祭りの日で、
宿舎にしたホテル前の道はたいへんな人出であった。
 そこを生徒たちと歩いていたら、人混みの中から私の名前が呼ばれた。みれ
ば画家の島田興司さんで、夫人が一緒だった。
 彼は、互いが吉祥寺で暮らしていた頃からの友人で、奈良の人と所帯を持っ
てから、こちらに移り住んでいたのである。思いがけない出会いだった。
 
 短い立ち話だったが、いま修学旅行で来ていて、宿舎はそこだとホテルを指
し、柳生街道を歩くことなども話して別れた。
 その島田さんが、夜、宿に訪ねてきて「石仏を見て歩きたいので同道させて
もらえないか」と言ってきた。検討の結果、許可がでた。
 奈良に住んでいても、これまでここを歩く機会がなかったのだそうだ。
 
 柳生街道は、奈良から柳生家1万石の里までの道であるが、私たちはその途
中の円成寺(えんじょうじ)という古刹までを歩く計画だったのである。
 そこは滝坂道とよばれ、原始林が覆う谷道で、その道脇には多くの磨崖仏な
どが散在し、それをみつけながら古道を体験しようというのだった。

 街道を歩く日、スケッチブックを持った島田さんと夫人は山歩きの支度をし
て早朝のロビーで待っていた。私たちは、思いがけなくもそんな芸術家夫婦を
加えたグループをつくって、それらの石仏を探すことになったのである。
 新薬師寺を右にした上り口から、私たちは滝坂道を登って行った。
 
    ◆ 地獄谷の雪
 荒木又右衛門だか宮本武蔵だかが斬ったという伝説が残る「首切り地蔵」の
もとで休憩した時、誰だったか、その話を面白がって、地蔵を木の枝で斬るま
ねをした。その時これも誰かが、まさに間髪をいれず「罰が当たるぞ!」と脅
かしたので、みんなびっくりして、思わず笑った。
 こんな光景が妙にほのぼのと思い出されて懐かしい。

 やがて地獄谷と呼ばれる辺りまで行くと、数日前に降った雪が足元を埋める
ほどに積もっていて、みなの足はびしょびしょになって、難儀した。
 この谷は、鎌倉時代に東大寺再興のための石材を採掘した所だそうで、後に
ここは無縁の人の死体捨て場になっていたという。
 この石畳の道は、石材を運び降ろした道だけではなく、悲しみの道でもあっ
たのだろう。欣求浄土を願ってそこに沢山の仏が刻まれたのがわかる。

 そんな感傷や冷たくぬれた足などにはお構いなしに、生徒たちは雪玉を投げ
つけあったりし、その元気は盛んなものであった。
 そして、寝仏だの、朝日観音だの、夕日観音などという石仏を、隠れた岩陰
などから見つけ出してはノートに記録していった。
 画家も、雪をかぶった石地蔵を手早く写生したりした。

    ◆ 本堂で尺八を聴く
 山の斜面にそびえるように建つ楼門が印象深い円成寺に着いた。
 苦労して辿りついた目的地という思いがあるから、着いた時には「やったー」
という声もあがったが、「やれやれ」と思った生徒もいたろう。

 本堂にあがらせてもらった。
 そこは板敷きで、私たちの濡れた足跡がペタペタとついた。案内のお坊さん
はそんなのはまったく気にしていないようだった。
 大きな阿弥陀如来像がデンとすえられた本堂は質素で凛としていた。
 像の裏側には、柳生一族の位牌がたくさん並べられてあった。生徒のなかに
は剣豪の柳生十兵衛や柳生新陰流にくわしい者もいた。

 お坊さんの案内が終わると、島田さんは寺の許しを得て、肩にかけていた袋
から尺八をとりだした。仏に曲を奉納しようというのであった。
 奉納演奏というのだそうだ。虚無僧が経の代わりに音を捧げるアレである。
 島田さんは趣味の尺八も得意で、これまでも寺めぐりの際には演奏をしてき
ているので、なかなか堂に入っていた。
 如来像の前に正座し吹きはじめた。生徒たちはポカーンとしていた。

 祈りの旋律である。
 深くやわらかい音色が、しみじみと心に染み入った。
 知識だけの古寺見学ではなく、ある宗教的な感動をともなった体験になった。
 
 暮れはじめた山の冷たい空気をまとった円成寺の山門をあとに、奈良市内に
もどる路線バスに拾ってもらって、この日の旅を終えた。

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 1983年度・中学修学旅行の記録をまとめた冊子を探したのだが見つけら
れなかった。
 これをキッカケに、あの時のそれぞれの思い出を寄せてくれたらありがたい。
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